このブログに興味を持って下さりありがとうございます。さっくんです!
さっくんの経歴について
私は、1984年に北海道の田舎で誕生しました。遊び相手は姉、犬、猫、昆虫、自然でした!
本当に何もない田舎なのに毎日が楽しかった!
僕は自然が好きなんです。自由が好きなんです。
それが田舎では実現できていた。だから心が満たされていたんだなぁ。
でも実は大人になって発覚したのだけど、実は天性の自由人!!だった。
(動物占いは波乱に満ちたペガサス、数秘術はマスターナンバー11)占いというか統計です。
田舎ではおじいちゃんにトラクターで保育園まで送ってもらったり、おばあちゃんには畑の事を教わったことを覚えてます。
当時身体の小さい僕はボットン便所で用を足すとき穴に吸い込まれそうな感覚になりすごく怖くてトイレに行けなかった!そんな思い出がある!
だから畑の端っこで穴を掘ってもらいそこで用を足す!そんな幼少期だった!
小1で引っ越し
小学1年生の頃からは学校の近いところに引っ越し遊び相手は友達へと変化していった。
学校という枠にハマり一生懸命頑張った!
習い事も【そろばん、暗算、習字、英語×2、水泳、サッカー、くもん、チャレンジ、ポピー】
たくさんやったけど(チャレンジとポピーは)サボってたなぁ!
自分本来の姿を隠して真面目に取り組み
本当の姿を見せないようにしてきた!
根は真面目で最後まで努力するけど本当は自由が好きで心の動くままに行動したい!
でもそんな事してたら、馬鹿にされるし、「不思議なやつだと言われてしまう」と必死だった!
中学生になりサッカー部に所属して毎日毎日練習をしていた中学生時代
今思えば良く毎日走ってたなぁと思う!
部活を3年間やっていれば良い高校に入れるかなと思っていた!委員会も自分の評価になるかなと思いやってみた!3年間学校を一度も休まずに皆勤賞をとった。
【勉強でいい点数をとるために、いい学校に行くために】とかを考えて自分自身本当は好きな事あるはずなのに今はそんなことやってる暇がない、遊んでばかりいたらテストでいい点とれないとか考えて好きな事をやれない人が多いんじゃないかと思う
高校生になった時
高校でもサッカー部に所属し学校は相変わらず皆勤賞で無遅刻無欠席の6年達成☆(中学高校合わせて)
良い大学に行くために、良い就職先に就職できるように、良い専門学校に行けるように必死になっていました。
そして、今大人になって思うのは出会いというものは必然なんじゃないか、その時のタイミングで出会わせてくれていると実感する。
高校ではクラス替えが一回あり文系か理系を選びます。その時に3年間同じクラスになる人は36人中わずか2人だけだった。男の子のT君と女の子のMさん。
これが後に運命を変えるきっかけになりました。
どんな専門学校を選んだの?
札幌にある自動車整備士の資格を取得できる学校に2年通った。田舎もんが電車で札幌まで通うと何だか最初はソワソワしてしまうが飽き性な僕はとても楽しかった。毎日が新鮮だった。なぜ自動車整備士を選んだか?
それは
車は一生なくならない!!だから仕事もなくならない。国家資格を持っていたら安心。そして機械自体も昔から好きだったし幼少期はミニ四駆で遊んでた。もしかしたら潜在意識だったかも。
自動車整備士になって本当に良かった。後悔は一ミリもない。車の整備以外でも機械なら大体応用がきくし、木工でも出来ることがわかった!
整備も好きだけどそれと同じぐらい工具が好きな事もわかった。
就職活動は2年生の夏くらいから始まり、全然希望してない2社を受けたがあえなく撃沈。
その後一番行きたかった所に面接を受けに行ったらなんとトップ合格だった。
初めての社会人はどうだった?
初めての社会人はとてつもなく勉強になりました。ここで自分の整備士としての技術やスキル、そしてお客様に対しての対応など様々な分野で学ぶことが出来ました。
やっぱり全てが自分にとって必然なんだなと思います。
会社に勤め
整備士として3年目
自分に少しずつ気持ちの変化がありました。
- 休みが少ない
- 残業が多い
- 給料が安い
- 工場長になっても安い
- ボーナスが安定してなくて会社の業績に左右される
- もっと幅広く仕事がしたい
これらのことがきっかけで転職を少しずつ意識するようになりました。
このタイミングで運命的な出会いをする事になり
高校時代のMさんと同窓会で久しぶりに再会
お互いのバイクの趣味で意気投合して交際することになりました。
人生は何があるかわからないですね!
さっくん転職を考える!
でも転職するにも何がいいんだろう?
車の整備は好きだけど
他の整備工場に転職しても同じことだよなぁ!
将来を考えたら
やっぱり安定したいなぁ!
公務員が良いなぁ!そんなふうに思いました。
なので公務員で整備って何があるか?
考えに考えて札幌市役所の地下鉄の整備にたどり着きました!
そう思って市役所の試験にチャレンジ!
市役所の試験って
筆記試験と面接2回あるんですね
1次試験無事に通過
そして結果を待つこと3ヶ月!
ドキドキでしたが、あえなく撃沈
チーーーン
やっぱり市役所の職員ってハードルが高い
整備士4年目
もう一度チャレンジすることを決意!!
そして
今回はかなり勉強して頑張るぞ
頑張るぞーおーーーー!ファイト!
1次試験を受けてまた結果待ちです!
ドキドキでしたが、
今回は1次試験
不合格
まじかぁ!!くそーあんなに勉強したのに!
めっちゃ悔しいです。
3回目のチャレンジを考えましたが
もう心は折れてバッキバキ(*_*)
将来どうしようかな?
新たなチャレンジ
そこで神の声がありました!
義理の兄が
『自衛隊なら整備もあるよ』
挑戦してみたら?
そういえば昔中学生の頃親に自衛隊の試験を試しに受けてみたらと言われたことがあって、
めちゃくちゃ拒否したことを思い出しました!その頃は坊主になるのが嫌だ。集団生活もキツそうだし体力的に辛そう!
そんなイメージでした!
ですが、市役所の試験に不合格だった
いまは
自衛隊でも良いなぁと思いました!
整備士時代駐屯地の中に入ってお客様の納車や引取り業務があったときから気になっていました!
早速調べてみると
予備自衛官という制度を見つけました!
国家資格を持っていると
教育が10日間で終了し後は登録しておくだけで
お気持ちお金を頂ける制度です!(正確には年一回の招集訓練がある)
教育終了後予備2曹という階級になります!
まずは現職自衛官ではなくこっちで体験してみよう!
整備士4年目、予備自衛官にチャレンジ
予備自衛官の教育10日間無事に終了
この教育は本当に人生を変える
きっかけになりました!
新しい事が好きな僕は全てが楽しかったです!
そして
自衛隊に入ろう
現職自衛官の試験を受けてみた感想は
市役所の試験を受けていたので
かなり楽勝に試験合格しました!
遠回りもしたけどチャレンジしたことに意味がある!失敗なんてない
それから体力をつけようと
フルマラソンに挑戦
そしてサラリーマンを辞めて
憧れの公務員となりました。
25歳で入隊し
同期は18歳
この年齢差はかなりキツイ
しかも寮生活で集団行動で
仲間が失敗すると自分も罰を受ける!
めちゃくちゃキツイのに
段々と仲間意識が芽生えて来ます!
3ヶ月の教育終了後は
希望通り整備の道に進むことが出来ました!
それから3ヶ月整備の教育があります!
僕はありがたいことに5年間整備をやってきたので知識も技術も自信がある!
遊ぶように教育を終了することが出来ました(^o^)
遊びながらも必死に年齢差を埋めるために頑張りました!結果トップ通過。
そしてそれから部隊に配属されます!
そこが運命の分かれ道なんです!
部隊に配属されたら先輩がほぼ年下
そこは割り切りました!じゃないとやってけないです。
またも年齢の差を埋めるために必死に昇任試験を頑張りました!
この試験は契約社員のままか正社員になれるかとても重要な試験です。
早く正社員になって結婚して寮から出たい!
この試験は人生最大に頑張りました!
無事に1回目で合格
合格直後に結婚も決めました
合格してもまた教育が3ヶ月あります!
この教育はまじで地獄なんです!
- 飯は5分
- お風呂は5分
- 外に出たら駆け足移動
- 戦闘服のアイロンがけ
- 靴をピカピカにする
- 部屋に台風が来る
- ↑(部屋が乱れていると班長に更にぐちゃぐちゃにされて部屋が大変な事になります)
- 反省と言う名の筋トレ地獄
- 朝起きたら2分で着替えて点呼
- 座学で寝たらしばかれる
- 反省文は作文用紙5枚
- 10キロの荷物背負って移動
- 山に行ったら10キロ荷物背負って20キロ歩く(行軍)
- ときにはダッシュ(このダッシュもまじきつい)
- 寝ないで行軍もあります
- 戦闘訓練で目標奪取して教育終了
いかがでしたか?
国や国民を守るためには体力がないと戦えないんです!仲間同士切磋琢磨しあい高めあって絆を深めます!
卒業式は皆でボロ泣きでしたね!!
すごく良い経験でした
それから正社員になって
部隊の中のスキーの先生になるために技術を磨く!
スキーの先生になってたくさんの事を教わりました。
中でも指導法は特に大事です!
自衛隊10年目の
この頃から娘が不登校になり
僕もこの生き方で本当にいいのかな?
もっと家族に対して親の背中を見せたほうがいいのでは?
メルマガにて思いを伝えてます。
詳しくはメルマガ見てね!
パーマカルチャーとは?
人生どうしたらいいのか色々と模索している中
パーマカルチャーと言う言葉に出会いました
パーマカルチャーとは人と自然が共存出来る
持続可能な暮らしをすることです!
そして自分の心も持続可能でなければならない
札幌在住のパーマカルチャー研究所
三栗さんから教えて頂きました!
遊暮働学(ゆうぼどうがく)
遊暮働学とは
遊びながら暮らす
働きながら学ぶ
遊び=暮らし=働く=学び
全てが一体となった考え方です!
求めていたのはこれだったんだ
現代社会では、暮らしのために必要なお金を得るために仕事をして、いい仕事に就くために幼い頃から勉強を頑張って、仕事にも勉強にもストレスがたまるからストレス解消の娯楽が必要になっています。
それに対して「遊暮働学」ライフスタイルでは、日常の暮らしそのものが、遊びであり、仕事であり、学びにもなっている。
引用元 パーマカルチャー研究所
だから日々、暮らしていれば、暮らしが回るという状態。
この考え方を知ってから一気に人生が好転していきます!
早速自宅で三栗さんのお話会を開催しました。
本当に良い話ばかりでした!
三栗さんはタイで滞在経験があり
日本の子育てとタイの子育ての違いを教えてくれました。
日本では核家族で子育てをします。自分の子供は他の親からも監視され
誰かと比較され育っていきます。
一方タイでは村で子育てをして皆んなが一人の子供を見守り
存在自体認めて誉めます。いろんな大人に接することによって成長し
自己肯定感が育まれます。
村を作っちゃう??
村いいね
村の様な場所で子育てをしよう
その時来ていた参加者に一緒に村みたいなところを作らない?
そして賛同者が何組かいて小さな村が出来上がりました。
村の名前は、遊暮働学むらです。
村の場所については
たまたまその頃自然栽培農家さんから野菜を買っていたのですが、
村の話をしてみると
快く場所も貸していただけるとのこと。
なんという運命的な出会い
しっかりやりたいことを伝えていくと叶っていくんだな!
そんな実感を持ちました。
この遊暮働学むらでは子供達は広い大地で駆け回り
大人は畑作業をしたり田んぼをやったりピクニックをして楽しみました。
夕日がものすごく綺麗です。このビニールハウスも何年も使ってなかったものを
復活させました。
田んぼの経験も最高でした。
お米も野菜も全て自給して一からカレーライス作りが成功しました。
大人も子供もすごく良い経験ができました。
本当に毎週楽しかったです。
もうこんなふうに遊びながら仕事になったらいいなと思い描き
自分の畑でも村を作りたい!それが生業になったらいいな!
村作っちゃおう
2022年遊暮働学きらくる村の開村です。
名前の由来は
気楽に誰でも来れるハッピーを自給自足できる村です。