ショックだったし悲しかったし愛しかった…
昨日、きらくる村の4羽の鶏さんのうち1羽が狐に連れ去られてしまいました…。
前回も同じことがあったけど、前回の白い子は無事でした。夫とこどもたちが賢明に追いかけて、怯んだ狐が口から放したので、鶏はしばらく咥えられていたにも関わらず奇跡的に怪我もしていませんでした。
引用元インスタ@cacci_n
でも、今回は違って…
結果として人間の力では狐の逃げ足にはかなわず、羽の黒い『さち』という子が、林の奥の狐の巣穴まで連れて行かれ、今回もすごく追いかけたけど最終的に見当たらなくなってしまいました。
きらくる村の鶏さんたちは、基本、小屋の外に放されて自由に草や虫や土をついばんで伸び伸びすごしています。
今日は別の地域でも狐を見つけたし、
引用元インスタ@cacci_n
農作業中、強い風に遮られながらも
かすかに狐の鳴き声が聞こえた気がして、
本能的に『嫌な予感』がしていました。
そのあと、プレハブの中で昼寝していた息子が起きてきて、ずっとグズグズしていたのでビニールハウスに移って、中のベンチで抱っこしていました
すると、外からけたたましい鶏たちの声。
引用元インスタ@cacci_n
いつもと明らかに違うので、やっぱり!!って気持ちと、とにかく早く!!っていう焦りで息子を放って声の方に走っていくと、狐がさちを咥えて隣の畑の方に走り去っていくところでした。
今回も狐が怯んでくれたら、と思ってとにかく激走しながら叫びました。
『こらー!!!きつね!!!!はなせ!!!!』
後ろで状況を理解してギャン泣きの息子。
前回のもショックでトラウマになってた😢
農家さんがトラクターで整地した隣の畑に一瞬迷うも、それどころじゃなく狐の足跡を追いかけて踏み入れさせてもらって…(ごめんなさい😓)
長靴で100メートルくらい畑の中を走った。
私の声で状況を察知した夫がすぐ後ろから追いついてきたので、パパ頼むー!!と、足の早い夫に託しつつ私も走る。
前回は狐も悔しかったんだろうな。
子育てシーズンだから必死なわけで、
今回はゼッタイ放さないって気迫が感じられた💦
防風林までどんどん入っていって、夫も私もやぶの中を追いかけたけど、4足歩行の野生動物にかなうわけもなく😭
そのあと夫が一瞬狐の姿を見たようだけど、たぶん巣穴に入れる前に息の根を止めようとしてる瞬間だったみたい。
その場所まで行こうとして、また逃げられたようであとはもう行方がわからなくなったそう。
無抵抗で狐に咥えられているさちの姿が何度もフラッシュバックする。
そのあとしばらく夫と私で探し、畑にいた夫のお母さんと息子は車で近くまで助太刀にきたけど、ぜんぜん見つからなくて。
諦めきれずに、何度もやぶのなかに入ったけどやっぱりだめで。。。
3回くらい往復して
諦めるしかないって覚悟決めました。
涙がどんどん出てきて、
自分で思ってる以上に
私はさちのことが大好きだったなぁって
実感しました。
2年前に、もらってきた有精卵を
孵卵器で温めて、
家族で孵化するのを見守りました。
生まれた三羽のうち1番小さかったのに、
(三番目に生まれた小さい子ってことで“さち”でした)
成長してからはよく卵を産む
元気いっぱいの雌鶏になりました。
雪が振りそうな寒い時期に
初めて抱卵しはじめて、
何日も絶食して卵を温めた…。
予定の日が過ぎてもひよこに
ならないので、
私達家族は、無精卵を
抱っこしていたんじゃないか?とか、
寒くてうまくいかなかったんじゃ?って
諦めかけました。
でも、ある日ちゃんとかわいい
ひよこが生まれて、
ちゃんと生まれてくることを
信じぬいたさちの強さに
感動したのを今でも鮮明に
思い出します。
すごく母性のある子だった。
仲間が迷子になって、
帰ってきたときは体を寄せ合って
おかえりって迎えてあげてたなぁ。
ひよこを羽の中に入れてあげたり、
えさを一番に与えてあげたり、
とにかく優しくて相手思い。
鶏ってこんなに感情豊かなんだって
びっくりさせられました。
そして、ひよこがなにかの拍子で
足を痛めてからはどんどん弱り、
危篤状態になったときも、
さちはひよこを諦めずに
ずっと見守り寄り添っていました。
奇跡的にそのあと回復した
ひよこ『しーちゃん』は
今はすっかり成鳥だけど、
お母さんのさちといつも一緒で
性格も似ていて好奇心旺盛で、
その親子の姿を見てるのが
私も家族も幸せだった。
死ぬときは死ぬし、
自然の摂理だし…
って頭ではわかってた。
だけど思った以上に
さちの死をなかなか
受け入れられなかった。
現実なんだー。。。
受け入れようといろいろ考えた。
なんで前回の子は
助かって、今回のさちは
連れて行かれたんだろう?って
思ったとき
やっぱりこれは必然なの
かもしれないと思いました。
狐も子育て中で必死。
巣穴のなかで待つ赤ちゃん狐に
ごちそうを届けたかったんだろうな。
母性本能の強いさちは、
なんとなくそれを察したのかも
しれないって思いました。
動物特有なのかな?
前回も今回も、鶏は
もうだめだと諭ったとき、
相手に抗うことなく
黙って口に咥えられて…
命捧げますって言わんばかり。
さちは、もう無理って
思った瞬間に自分の命も
循環のひとつであることを
100%受け入れて、抵抗することなく
キツネたちの命になりにいったのかも。
そんなふうに考えたら、
さちは最後まで愛そのものだったなぁって。
私達にそれを伝えるためにも
さちだったのかもしれないよね…
わからないけど
そう思わざるをえなくて。。
息子も、さちがほんとに
かわいかったみたい。
受け止めきれたかわからないけど、
さちを諦めて防風林から去るときに
「さち、今までかわいかったよ」って
悲しそうに言葉を残していました。
娘は今回べつのところにいたので、
さちがいなくなったことをまだ
現実として受け止められてない様子。
悲しいときほど、おどけたり
おしゃべりになったりするから
一見平気そうに見えて
葛藤でいっぱいだと思う。
さちはお母さんだから
狐の気持ちもわかったのかも
そして狐の命なったんだね
って話をずっと黙ってうんうんと
聞いていました。
寂しくなるよ、
ほんと大好きなさち。
今までどうもありがとうね
いま、卵不足が深刻というけど、
その卵を産んでいるのは
こんなにも感情豊かで
愛のある生き物、
命なんだってこと
自覚して食べてる人は
どのくらいいるだろう
その命は大量生産の道具、
マシーンのごとく一生を
送らされてるってことを
知ってる人はどのくらい
いるだろう
我が家は卵からかえった
ひよこたちと出会ったときから
鶏さんを家畜としては
もう見られなくて…
今回の鳥インフル騒動を機に
その生産方法もなにか変わって
いくといいなと感じてもいたり…。
今回のさちのことは、さらに
日々いろんな命をいただいて
生かされてるってことを
感じざるを得ませんでした。
息子も娘も、最初は狐のことを
恨んで悪者扱いしていました。
でも、
さちは狐の子たちに食べられて
狐の子たちの血肉になり生きること
そしていずれ
狐も死んだときは土の中の
微生物の命にかわっていくこと
自分たちもふだん
お肉を食べたときに
別の命が自分のからだを
生かすことになるということを
自覚して
狐が悪なのではなく、
どんな命も命に生かされ
支え合ってるってことを
考えるきっかけになったかと思います。
でも、家族同然の子が
突然いなくなるという心の穴は
しばらく埋まらないよね。
案外、
切り替えの悪いのは夫。
ずっと悔やんでる。笑
私もとても悲しいし寂しいし
悔しいけど、
さちが最後の最後まで
自然本来の『愛』を体現して
くれたことに感謝するしかない。
さち、ほんとにありがとう
さちが連れ去られてしばらくしたあと、
また狐が村の方に来ました。
なんか言いたげ?
ごめんねって言いに来た?
ありがとねってかんじ?
まさか、おかわり?
何かわからないけど、
なにか言いに来たって思いたい私。
なにか一言言ってほしい。
こどもたち🦊のために命を
くれてありがとねって
言ってくれたら嬉しいなぁ
自然の摂理ってほんとに
シンプルで
さちはそれを潔く受けいれていた。
人間はややこしい。
情、エゴが入って途端に
ややこしくなる。