パラオ共和国の魅力に迫る④パラオって何語なの?日本人でも余裕な理由

パラオは世界一綺麗な海で少し潜っただけでたくさんの魚が出迎えてくれます!

だからこそ海に入れる場所が決まっています。サンゴを保護するために規制しているんだそうです。

そしてその他にも日焼け止めを規制してます。

日焼け止めを持ち込んで使用した場合は

罰金11万だそうです。

余談でした。

目次

パラオの言葉は何語?

パラオでは実は3カ国語使われています。

  1. 英語
  2. パラオ語
  3. 日本語
さっくん

本当に日本語も話せるの?

意外ですよね!僕も最初はびっくりしました。

パラオ語の中にも日本語が混じっています。

どうして日本語喋れるの?

詳しく説明します。

昔パラオは日本の統治国でした。

1914年から31年間にわたり、現在のパラオ共和国は日本に統治されていました。1922年にはコロールに南洋庁が置かれ、本格的な統治が開始され、1938年には1万5千人を超える日本人がパラオに居住していたと言われています。
当時多くの日本人入植者が居住したコロール島やバベルダオブ島では、場所によっては現在もその当時の住居や建物の跡が残っています。

引用元 パラオ大使館

1万5000人も日本人がいたんですね。

パラオの歴史についてはウィキペディアをご覧ください。

日本とパラオの関係は、江戸時代1820年文政3年)に、陸奥国閉伊郡船越浦(現:岩手県山田町船越)の神社丸がパラオに漂着したことから始まる。神社丸は江戸に向かう途中に九十九里浜沖で遭難し、38日後パラオに漂着した。生き残った長吉ら6名はパラオに3年半あまり滞在した後、フィリピンマニラマカオ浙江省乍浦を経て日本に帰国し、パラオに関する記録を残している[2][3]

1914年大正3年)、第一次世界大戦連合国として参戦した日本は、パリ講和会議に措いて当時ドイツ領ニューギニア(Deutsch-Neuguinea)であったパラオ諸島カロリン諸島北マリアナ諸島の委任統治を認められた後、臨時南洋群島防備隊と軍政庁を設置し、パラオを含む南洋諸島統治を開始した。1920年(大正9年)、ヴェルサイユ条約によってパラオは国際連盟委任統治領として認められたため、1922年(大正11年)に日本はパラオのコロールに南洋庁を置き、委任統治領の行政の中心地とした。日本統治下において、パラオは漁業、農業、鉱業の分野で目覚ましい発展を遂げた。パラオは日本統治期間中、ある程度の自給率を達成していた[4]。パラオは第二次世界大戦中、大日本帝国軍の前線基地として機能し、1944年昭和19年)にはパラオ諸島南部のペリリュー島アンガウル島ペリリューの戦いアンガウルの戦いが行われた。1945年(昭和20年)、南洋諸島の日本統治は第二次世界大戦における日本の降伏とともに終わりを告げた。旧南洋諸島は太平洋諸島信託統治領としてアメリカ合衆国により信託統治されることとなった[5]

日本は1994年(平成6年)10月1日にパラオのアメリカ合衆国からの独立を承認、同年11月2日にパラオと国交を樹立した。コロールにある日本大使館は1999年(平成11年)に開館した[4]

引用元 ウィキペディア

僕の知り合いのお父様が終戦の時パラオにいたそうです!

こういう話を聞くとパラオがすごく身近に感じます!

日本語由来のパラオ語は?

パラオ語をいくつかご紹介します。

実は日本語由来のパラオ語は1000語ぐらいあります。

「シオバイ(商売)」「オキャク(お客)」「オカネ(お金)」「オツリ(お釣り)」「センキョ(選挙)」「シンブン(新聞)」「デンキ(電気)」など、日本語がそのままパラオ語になっています。
他にも、「ツカレナオス(ビールを飲む)」「アジダイジョウブ(美味しい)」など、嘘のようで本当のパラオ語や、「アイコデショ(じゃんけんぽん)」など、少し間違って伝わってしまった場合もあるんですね。

「ヤッコチャン(オウム)」というのは、飼われていたオウムの名前が一般化してしまった。面白いですね。


また、アンガウル州では、パラオ語と英語に加え、日本語が公用語に定められ、海外で日本語が公用語となっている唯一の事例です。
パラオを観光してみると、レストラン、ショッピングセンター、ホテルなどには、日本語が話せるスタッフも多く、必ず日本語表記がしてあり、言葉で困ることはありません。

これって日本人にとってめちゃくちゃ安心しますね。

他にもこんなのがあります。

引用元 和楽

楽しいですね!

異国感を味わえてしかも安心できる国【パラオ】

ますます行ってみたくなってきませんか?

まとめ

いかがだったでしょうか?

こんなに日本語が根付いている国で親日国であれば安心して移住できますし

子育てもすごく楽しそうですね。

日本語も通じて英語も学べる最高の環境です。

子供に英語を学ばせたいなぁと思ったらぜひパラオへ

みなさんもぜひいらしてください。

どうして僕がパラオに移住することになったかはメルマガにて説明してます。

さっくん

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この記事を書いた人

さっくんのアバター さっくん 【夢の仕組み化コーチ】

【増やす×減らす×仕組み化で自由な道へ】

はじめまして。さっくんです。

14年間、公務員として働き、
家も建てて、家族もいて、安定した毎日がありました。
でも、どこか心の奥で…ずっと満たされない自分がいたんです。

「このまま人生が終わっていくのか?」
「もっと外の世界を見てみたい」
そんな想いが積もって、40代で海外移住を決意。
英語も話せない、給料もゼロ。でも、それでも一歩を踏み出しました。

今は、南国パラオで家族と暮らしながら、
「本当の自由とは何か?」を探し続けています。

自分らしく働くこと。
家族と豊かに暮らすこと。
誰かの“当たり前”じゃなく、自分で選ぶ生き方をすること。

このブログでは、
そんな挑戦のリアルや、
心がふっと軽くなるような気づき、
人生に“もう一度ワクワクする力”をお届けします。

もし今、何かを変えたい気持ちがあるなら——
その気持ちは、人生の扉が開き始めてる証かもしれません。

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